TALK - 03 “ 写の体得と定義 ”
司会 昔の刀工で写物の印象があるものって、中原先生は何をあげますか?
中原 水心子の濤瀾刃写かなあ。水心子の助広写・・・これは見る機会もある。年代によって違いがわかるいい例です。なぜ水心子を持出すかというと、他の刀工も助広写はやっているけど、新々刀期になって初めてやった刀工でしょ。大野刀匠だって、やはり山鳥毛を最初に写して結果を出したから評価が高いわけでしょ。新刀期以降、何人かはいるけど明らかに濤瀾刃写だと判るものをやったのは水心子でしょう。
司会 大野刀匠の保昌写はどうなんですか?典型的な写ですよね、あれも。
大野 うん、そうだね。どうせ柾目をやるなら写がいいかなと思った。柾目で短刀を作っても売りづらいから、柾目の短刀の代表みたいな保昌をやってみた。
中原 大野刀匠は他の刀工にも「知りたいんだったらある程度は教えるよ」って言っておられるけどね。一般的には、自分の技を弟子でもない他の刀工には絶対に教えないと思うし、仮に教えるにしても、もちろん条件はあるけど、ある一定レベルの技術を身につけた上で教わらないとムダでしょうね。
大野 それね、昔独立する前に九州の刀匠に会いにいったことがあるんです。その刀匠は九州の刀工を集めて、自分の技術を公表したというか教えたんですよ。そしたら刀匠はこう言ったんです。「出来る人は黙ってやる・・・そして自分で研究しましたと言う」「出来ない人は・・・あいつは嘘を教えたと言う」つまり、どっちに転んでもダメなんです。(笑)「だから刀の技術ってのは、教えるものではないんだ」って言われました。
司会 出来ない人は自分の非力を隠すために言訳をします。そういう人ほど、色んな所へ聞きに行くしあらぬことを喋る。
大野 これは私の経験というわけではないけど、私の後輩にある事を教えたんです。焼刃土の事なんですが・・・「こういう風にしなさい」と。そしたら1ヶ月もしないうちに電話がかかってきて「大野さん、嘘おしえたでしょ!!」・・・私が指示したその土は、練って半年置いたもので、寝かせないとダメだよって言ったけれど、「そんな事はないでしょう、しょせん土だから」と聞く耳持たず安易に考えてたんだね。しばらくしてすぐ電話が来て、今度は別の事を聞くんですよ。「で、どうだった?土は? 教えた責任があるからね。」と言ったら、「いや、あれ良かったですよ〜」と平然と言い放ったんです。さすがにカチンときて、「おまえには教える事は何もないから、もう電話くれるな!」と受話器を切ってやりました。アハハ。
司会 しかしまあ、教えてもらっておいて呆れ返りますね。
大野 私ね、焼物も好きで、土の事を色々と調べて判った事だけど、土に限らず、手間をかけたりいじったりすると“変化”する“性質”があるっていう事を身を以て知ることが大事なんです。これは作刀でも同じことなんです。科学的に、理論的には理解し得ないかもしれないけど、実際に体験して実感する事は可能なんです。
中原 鉄だって寝かせているでしょ。鉄道のレールだって結晶組織を出来るだけ平均化するために寝かせてすぐには使わないし、積み上げて歪みを矯正したりと・・・
大野 そうです。そういうことを知らないんですよ、自分でやらない人は。 司会 そういった現象なり性質を刀匠として弟子に教えるものなんですか?
大野 いえ、そういう事は教えません。黙ってますよ。自分で体験する事が大事なんです。
司会 なんでもかんでも聞いてくる人は、結局、色んな所へ聞いて廻る。結局、体得する苦労なり困難がないと自分の技術として取り込めないのでしょうね。
中原 師匠は弟子に教えない・・・これは事実。それは何故なのか? 僕の師匠の村上先生曰く「僕は光遜先生からは一度たりとも直接手にとっては教わっていないよ」「僕が光遜先生に教えた事の方が多いよ」と言って笑っていました。
これはどういう事か? 光遜は確かに鑑定に長じているけど、古文献は見ていなかった。なので村上先生が買い集めた古文献(目利本)の内容を光遜に教えていた・・・そしたら光遜は、自分の本にその内容を見事に活用していた。ここまではいいでしょう。でも先生曰く、「僕は光遜先生に何も教えてもらっていない。だから僕は君にも・・・」と笑って言われた。昔の人は悪いよなぁ〜〜アハハハハ・・・無言の態で覚えろという。
司会 でも先生、今ではそれで良かったと思っていますでしょ。
中原 いや、今は、これからは、それでは通用しないと思っている。僕達は知識の世界だからいいけど、大野刀匠達は技術の世界でしょ・・・やっぱり教えないのですか?
大野 そうですね、私も教えないと思います。
司会 中原先生の師匠である村上先生はどうなんですか? 光遜が書いた『刀の掟と特徴』は、内容的には村上先生や宮形さん達の業績でしょ?
中原 いや、それは難しい評価だよね。その内容は長年光遜が喋った事、書いた事ですから表向き、この二人はあくまでサポートであって光遜の名があるからこそ教科書として読まれている。
司会 大野刀匠の師匠は吉原義人刀匠ですが、やはり教えられなかったのですか?
大野 実は私が最初に入ろうとしたのは相州伝をやる刀匠だったんですが、諸事情により断られてしまいました。それで親方のところに入れてもらえる事になったのです。当時の親方はまだ30歳前の新進気鋭の刀匠で、私といくつも離れていませんでした。なので初めの頃私は戸惑ったことを覚えています。でも親方は親方らしく毅然と、「俺は直接教えないから自分で見て盗め」「俺がやっているのを見て覚えろ」と・・・
司会 いい師匠と巡り会うのは運なのでしょうか。
大野 確かに受け入れる側にも問題はあるけど、それよりも入る側の意識というか心構えにも問題があると思います。
中原 刀匠の資質っていうのは、後で形づくられるわけではないよね。向き不向き、心構え、性格、運・不運もある。それを納得した上で挑戦すべき仕事かもしれないね。
司会 大野刀匠が独立した頃、そして山鳥毛写を発表した頃はどんな状況だったんですか?
大野 私が独立したのは昭和51年ですが、その時、当然資金がなくてどうしようかと・・・それで、神奈川の永山光幹先生を訪ねて武器講をお願いしたのです。先生は「話は通しておくから、川崎の研師の佐藤さんを訪ねなさい。」と心良く引き受けてくださりました。1年に12本、この武器講のおかげで、新潟に鍛錬場と設備を整える事が出来たんです。
そして新潟でも52年から4回、武器講をやらせていただきました。新潟の武器講は、地元の研師のお客さんがキッカケで、当時の刀の相場を知らなくて安く受けてしまい、最初、居合刀と間違えられてしまったようです。その方が打卸の刀を5本作ってくれと・・・そして、その5本を研いだら疵が1本も出なかったんです。それで研師の方が武器講やってみないかと誘ってくれて、1年に15〜16本、これは有難かったです。最終的に6年間の武器講で作った刀で疵の出たものは1本もありませんでした。そのお金で活動の土台が固まり、山鳥毛写の研究に取り組めたんです。
中原 独立して間もないのに、1本も疵が出なかったとは凄い。大野刀匠にも研師にもメリットがあったという事ですね。
司会 武器講って、現在は聞きませんね。今もあるんですか?
中原 今はないでしょう。本当はこういう武器講みたいな刀工を応援する仕組があればいいんだけど、誰も声を上げないし、支援する人もいないのが実情。そうできれば、その下積時代に、自分の目指す刀の研究が出来るんだけど。そういう環境での写なんて理想の訓練方法だと思う。
大野 ええ、私も下積み時代があったから山鳥毛写が出来た。6年間、どうしたら出来るのかを追い続けました。1・2回、1・2年やってあきらめてしまっては、目指す刀は成し得られません。私は山鳥毛を写すのに、ひたすら6年間かかった。そしてそれは今も続いています。
中原 大野刀匠に以前聞きましたけど、土置なんか0.1ミリ単位で気を遣うと言っておられますけど・・・
大野 あれはね、土置に使う土の細かさは1ミリの中の10分の1、確かに0.1ミリなんですよ。メッシュの穴が0.1ミリの篩(ふるい)を専用に作ってもらいました。
中原 そのへんのこだわりは、応永備前なんかみても、一流刀工と二流刀工のこだわりの差は歴然と出ていると思います。備前や関の作を見て、刃文についての腕の善し悪しは感じるよねやっぱり。ただ古い刀工は、鍛えは皆上手い。古い刀工はね。
大野 うん、上手い。古い刀工は皆、鍛えは上手い。腕の善し悪しの差は焼入でしょう。
中原 そう、刃文の形態を見て、刀工の一流、二流、三流ってのが判る。 司会 ただ、刃文の役割ってのは大野刀匠はどう思います?
大野 うん、刀は斬るための道具だから、焼入の所作は最重要なポイントになるでしょうね。焼が入っていれば役に立つだろうけど、職人としては他の人よりいいものを作りたいと思うのは当然のことだろうと思います。
中原 昔は、材料は節約節約、その条件で作刀する。つまり、喰わなければならない。・・・相反する環境の中でやるわけで、そこに高技術が生まれるのかもしれない。さっきの話じゃないけれど、現代刀工達が喰えないと言っているけど、明治の廃刀令の直後なんかに較べたらまだマシ。
司会 確かに現代刀工達は、社会的にはある程度認められた位置にいると思います。
中原 ここで歯を食いしばって耐え、評価は後世に委ねるとする刀工と、廃業したり、ネジ曲がって結果的に偽作に手をかける刀工もいると思います。
司会 つまり、偽物が出る時代ほど刀工達の生活状況が悪いということですか・・・一種のバロメーターですね。
大野刀匠の偽物が出るなんてこと自体、それを具現化した社会現象ですね。大野刀匠だけでなく、現代刀の偽物は結構出ています。
中原 現代刀工が古作の偽物を作ることは、そんなに恐くはない。判別がある程度容易だからね。でも、現代刀工が現代刀工の偽物を作ったら、これは厄介。どうしようもない。おまけに刀工が既に故人だったら、検証はかなり難しい。
司会 これは昔も今も同じですよね。ただ、何百年も経ったものを、それは○、これは×と言えるんでしょうか。
大野 結局、写物の定義を考えること自体おかしいのです。すべて写物の延長にあるんですから。
中原 今までの刀工の歴史を見ると、水心子しかり、おそらく他の刀工、古刀、新刀を問わず、多々良長幸も与三左衛門を見ているよねと・・・推測だけど、当たっていると思う。要はほとんど全てと言っていいほど写をやっているだろうという事に直結する。刀に限らず、焼物、絵画、書、全てにわたってこの写というのは、キーポイントになるし、敢えてそれを言う必要はない。
大野 当然、通るべき関所だという事ですね。
中原 しかしチャンポンはだめだよ。中心核を持った多様性はいいけど、単なる色んな寄せ集めの作はいけない。