砥石を当てるのは楽しみであると同時に大きなチャレンジです
大野先生とはかなり前から面識がありましたが、直接お付き合いさせて頂くようになったのは5年ほど前に大野先生から研磨依頼のお電話を頂いた時からです。先生は現代刀匠の最高峰に位置する方ですので、研磨依頼を頂いた時は感激すると共にとても緊張したのを思いs出します。
先生は気さくな方で聞けば何でも教えてくださいますし、事細かに説明される姿から大変な研究をされてきたことが伝わります。
山鳥毛写しから保昌写しまで幅広く作刀される先生の作品に、砥石を当てるのは楽しみであると同時にまだまだ未熟な私が納得のいく研磨をするのは大きなチャレンジです。毎回違う作風の物を研がせて頂いていますが、どれも地鉄、刃文の素晴らしさは言うまでもなく、傷なども一切ありません。加えて、先生は鍛冶研ぎがとてもお上手なので研師としては大変ありがたく思います。これが一流かつ最高峰の仕事なんだと思い知らされます。
どんどん仕事を頼みたいと言ってくださるのですが、私がなかなか研ぎ上げず基本的に年1振りペース。なので少し恐縮していますが、これからも先生の作品を楽しみに一振りでも多く研がせて頂ければと思います。
刀剣研師・川上陽一郎
大野義光刀匠の作品3振を所持しています
刀剣に興味を持ったのは、元々戦国時代の甲冑や城跡めぐりが好きだった事と、長さ4寸程の平三角槍を偶然手に入れた事から始まります。当初は古刀といわれる時代を遡った槍を求めてネットで全国の刀剣店のホーページを検索し、その検索結果からホームページの出来栄えと取り扱い刀剣の種類から店舗を見極め、良さそうな関東圏の刀剣店を車で探しまわりました。
刀剣店では「槍コレクターか。珍しい。」と言われた程に槍は刀剣店における売買実績があまり無い事、また戦国時代では武器として殺傷能力に優れた槍は実戦で多く使用されており、刃こぼれによる磨減り等もあって美術品としての価値が高くないこと、大身槍と言われる長尺物や千鳥槍など特殊な形状のものは武家に伝えられているもの以外は特に残っていないのか、目にする事も少ない印象でした。 見れないもの、少ないものは、見たい知りたいと欲求が倍増するもので、特殊形状のものをネットで調べていくと一冊の本にたどりつきました。それは「日本の名槍」です。その1ページ目に徳川四天王と言われた名将、本多忠勝使用の蜻蛉切が等身大の折り込み(綴じ込み)写真で掲載されており、その流麗な笹穂と均整のとれた彫り物、刀剣にも黄金比率があるのか、完璧な美人であり、その全てを一目で惚れ込みました。
また無謀ながら手に入れたいと思いましたが、個人所有のものであり、数年に一度博物館等でお目にかかれるかという物であり、槍好きには国宝級のお宝です。加藤清正の片鎌槍のように国立博物館で大切に保管され、時には拝見できるようになってほしいとおもっていたところ、池袋の刀剣杉田さんより、「日本一=世界一の刀匠に作ってもらえるかもしれませんよ!」との話を頂き、作成を依頼した次第です。
大きな声では言えませんが、本多忠勝が使用していた当時の蜻蛉が切れてしまう程の切れ味かは分かりませんが、私の蜻蛉切は鼻息が荒くなり水分で錆びないか心配になる程完璧なる美人です。因みに私はこの蜻蛉切の他に、大野刀匠が作られた太刀・山鳥毛と菊池槍も愛蔵しています。
埼玉県・槍好きの愛刀家
愛刀家としてのキッカケをつくってくれた大野刀匠
大野義光、越前康継、何それ?・・・最初はそんな感じだった。
骨董好きが高じて刀の世界に足を踏み入れたのだが、言葉にならない何かにピンッと来るのだが知り始めるとキリのない世界だ。
劇画や映画のイメージで語られてきた刀の世界。だが、実物をしばし手に取っていると、スマホやネット社会にあって心の奥にある原始性を刺激してくれる。しかし、買い始めた頃、ほとんどが偽物だった。現代の刀剣商の実態があまりにも商売優先の変わり身の早いことに愕然。
そんな折、偶然にも大野刀匠の若打の小刀を入手する。小刀なのに現代においてこんなものを造れる人がいるのかと嬉しくなったことを思い出す。それからは、信頼出来る刀剣商との、買ったりキチンと引き取ってもらったりの繰り返し。次第に今では手渡し難いものが多くなり、刀はもはや私の中で哲学化している。
印象的なのは舞草派の宝寿との出会い。何とも土草くうねるような黒味の地会に魅了されたが、他の人に渡ってしまった。
その喪失感の空白のところへ、大野氏の太刀の写しと室町の脇差が目に止まり、今でも不思議だが、あっ、これならとピンっと来て宝寿で用意した資金がこの二振の購入をスンナリと決めさせたことだ。 この太刀には夜明けの光が増えようとする地平の気配。室町の脇差には風のない静かな曇り空を私見だが感じる。
大野刀匠は偉ぶることもなく自然体な方だ。何をやるにも生きているからこそなのだから、子供の心、青年の体、老人の頭、刀を通じ感じていきたい。そのキッカケとなった大野義光刀匠に感謝。
静岡県・孤高の愛刀家
山鳥毛丁子の技法を伝えるべき後継者を是非作ってほしい
大野刀匠といえば“山鳥毛写”となる程、戦後の現代刀匠の中では異彩を放つ人である。
大野刀匠は私より少し年上ではあるが、何といっても刀が好きらしい。私も刀好きであるが、刀職に携わる人で本当に刀好きは果たしているのであろうか。つまり、二人の共通項は“刀好き”である。
私が刀剣界に入る切っ掛けは、最初は刀匠を目指した事から始まるが、私は刀匠の道ではない道を撰ぶ結果になり、幸いにも現在に至っている。大野刀匠とはかれこれ三十数年来の知合となるが、何しろ刀は好き、おまけに小道具も好き・・・とくるので、私にとっては小道具での好敵手?となってしまう。 さて、私の願いは、大野刀匠には山鳥毛丁子の技法を伝えるべき後継者を是非作って頂きたいのである。これは私一人の願いではないと常々思っているが、果敢に挑戦してくれる後輩が今から出現せん事を切に望むものである。
刀剣研究家・中原信夫
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